朱子学が政治・為政者のための学問になった理由
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」③浅野中学
■そんなにも大事にされた「大学」とは?
儒学や儒教と聞くと「うへぇ難しそう」と思うかもしれませんが、この「大学」はそんなことはありません。二宮金次郎少年が歩きながら読んでいたほど、子供にもわかる平易な文、内容なのです。ふふっ、彼が読んでいるのは論語じゃないんですよ。
「修身・斉家・治国・平天下」は聞いたことがあるのではないでしょうか。
これは儒教の目的であり、また「大学」にも書かれています。そもそも儒学の思想は「自分自身(時代的に為政者側)=身近なものから始め、遠く(庶民=時代的に被支配者側)に及ぼす」ですからね。
「大学」の要旨は「三綱領八条目」に凝縮され、そこにこそ、儒教の目的が入っています。
「三綱領=明徳・新(親)民・止至善、八条目=格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」要するに、己を修めて人を治め、学問をもって己の明徳を明らかにし、これを天下国家に明らかにするというわけです。
えっ?わかりにくい?
この部分ゆえに「政治の学問」とされた大事な部分なので、もうちょっと砕くと「天下の本(もと)は国にあるため、人君たちは明徳を明らかにしようと一国の人々を教化し治め、善行させる。
国の本は家にある。だから一国の人を治めるならば、まず己の家の人を斉(ととの)え、長幼尊卑を守らせる。家の本は自分自身にある。だからまず自己を修め、家人の模範とならねばならぬ。
自己を修めるなら、その心を正しくせよ。そうするには心の発する意について、誠実であれ。誠実であるにはまず学問をして善悪の分別を間違えぬように。それには礼・楽・書・御・射・数を学び極めよ」…ということなのです。(長くて申し訳ないですが…)
■だからこそ、朱子学(儒学)は為政者に大切にされた
さて、読んでいて気付きましたか?
はい、出ました!「長幼」、その通りです!
「長幼尊卑を守り」は徳川家康が最も重視したことの一つ「長幼の序」のことも含みます。先に生まれたのか(長子)、後から生まれたのか(それより幼い)。
そして「正室の生まれ」なのか「妾腹」なのか…これが「尊卑」になります。
だから武家には「最初に生まれた長男」なのに「庶」長子の坊やがいるのです。べつに庶民から生まれた子ではなく「妾腹」から生まれたからこの言い方をするわけで、うまくそのまま正室に男子が生まれなければ「嫡子」になれますが、後から生まれると「兄は部屋住みか家臣並み扱いで、弟が嫡子」と立場逆転してしまいます。
そしてこの「長幼尊卑を守る」は中国朝鮮の各王朝、日本の江戸幕府において、小さくは個人の家、大きくは国や藩全体、幕府・日本全体として、「身分上下の礼を守る=家や国の安泰の根幹である」として捉えられるようになります。
だからこそ、儒学の主流となった朱子学は「為政者の学問」として大切にされ、国の基本とされたのでした。